【川崎殺傷】「1人で死ね!」はダメで「引きこもり=犯罪予備軍」はOK?・・提議の真意はどこに?
こんにちは!
川崎殺傷事件の議論は現在「要因はどこに?」と言うものに移り、犯人の幼少期からの経緯についての議論に入っております。
そしてそこで提議されているのが・・・。
多くの方々が思いSNSに投稿した「死ぬなら自分1人で死んで!」という文言です。
さらに言うと、これに並行して定義されているのが「引きこもり=犯罪予備軍」という内容のものになります。
これは非常に難しい問題ですので、こちらでは「すこ〜しだけ」ふれておきたいと思います。
「1人で死ね!」はダメで「引きこもり=犯罪予備軍」はOK?
まず大前提としてこの問題に私が触れるのは、私も「犯罪予備軍」として分類されているからです。
それを踏まえて、この記事は私の「保身」も含めた内容になると思いますので、「お前のようなバカの保身に興味はない!」と思う方は、ここで離脱していただくことをお勧めします。
SNSに「1人で死ね!」の投稿はダメ?
様々に議論されている議題として、一番の関心ごとである内容のものは「どうせ自殺するなら1人で死ねば?」という内容の文言がSNSに飛び交っている事についてです。
大きな炎上になっているのは、その中でも立川志らくさんがワイドショー内で発言した言葉にNPO団体代表の藤田孝典さんが反論した件です。
志らくさんの言いたいこと
志らくさんは番組内で以下のように語りました。
この言葉の真意ですが・・・。
志らくさんの性格上、この言葉の意味を細かく説明する事は現在のところありませんが、私が当初受け止めた内容は・・・
51にもなって責任のある立場で、なんで自己解決しようとしないの?最後には未来ある子供達に恐怖心を植えつけて・・・。死にたいなら1人で死んでくれよ!
というものではないかと感じました。
藤田さんの反論内容
藤田さんの反論内容ですが、細かくこちらで紹介すると非常に長くなりますので、非常に簡単にまとめさせていただきますので、詳細は大手のニュース記事で再確認して頂けますと幸いです。
藤田さんの反論内容は以下のような内容のものでした。
私の思うこと
私はどちらかと言われると、第一報時にこちらのブログで紹介させていただいた中に書いたとおり、志らくさんの言葉に通づるものがあります。
・・・というか、ほぼ同じ内容の考えではないかと思います。
しかし、私は藤田さんの文面の内容の中にも一部分づつでは通づる部分もあって、一概に正しいのはどちらかを決めてしまうのは早計ではないかと思います。
ただ、私が先に投稿した記事でも述べたように、この犯人には「甘え」というものが多分に感じられてなりません。
「みんなで手を差し伸べる」という社会的行為がもしなされていたとして、この犯人がその恩恵を受けていたとして、この犯人は社会人として立派に社会復帰したでしょうか?
私には、社会の手を存分に利用し、「自分の正当化」を掲げ、さらに孤立して、なんらかの引き金を機に、同様の事件を起こしていたのではないかと思うのです。
現に犯行のタイミングは、「義父母」が社会復帰の手紙を送った事と重なり、自分の金銭面や食事面の将来に陰りが見えた時ではないでしょうか?
私の中にあるのは、この「甘え」に対して「ずっと手を差し伸べ続けること」が犯罪の抑止となり社会的責任をもつキッカケになるのか?という疑問です。
藤田さんの文章の一部にある「周囲に大切にされなければ、周囲を大切には思えない」という自己中心的な損得感情が多分を占めるとしたら、「手を差し伸べるという行為」は果たして彼を、そして同じ境遇で甘えて育った人たちを社会復帰させる事ができるのでしょうか?
「あなたのせいではない」と言い、金が供給され、「あなたも立派な社会の一員だ!」とこの人物が認められる世になったとき世間のどれだけが、自分の苦労を度外視して彼らを社会の一員として迎え入れるでしょうか?
そう考えると、私は藤田さんの言葉には少なからず疑問を感じてしまうのです・・・。
「引きこもり=犯罪予備軍」の報道には反論がない!
さて、話はここから少し変わりますが・・・。
現在報道されております中に、犯人の境遇で一番の要因とされる「引きこもり」というキーワードが多く出てきています。
引きこもりのキーワードとしてあげられるのが・・・
- 収入がない!
- 部屋に1人でこもる時間が長い!
- 社会との交流が少ない!
- 孤立している!
今回の報道で知ったのですが、このような事の中で「収入がない!」とその他のどれかが重複する場合に「引きこもり」と言われているようです。
「引きこもり=犯罪予備軍」
今回の事件の犯人は「引きこもり」だった事が強調されています。
その境遇が自分をさらに自分の歪んだ考えに追い込んで、最終的に社会の恨みに昇華させ犯罪に駆り立てたのだと言われています。
結果、世間では「引きこもり=犯罪予備軍」という認識がさらに広まってきているようです。
実は私も引きこもりだった!
社会の通念上では、実は私も現在は貯金を食いつぶしてブログで生計を立てようと苦悶していますが、この状態が「引きこもりに当てはまる状態」のようです。
どうりで、この何日間か、ご近所さんが突然挨拶しても返してくれないはずです。
私が自宅でPCをやっていると知っているので、「引きこもり」とこれまで認識していて、最近の報道で「犯罪予備軍」に格上げされてしまったのでしょう・・・。
なぜ「引きこもり=犯罪予備軍」には反論がない?
私は思うのですが、「1人で死んで!発言」には大きな反論があり、大きな議論がなされていますが、今回起きている「引きこもり=犯罪予備軍」的な発言には声を大にした反論はほとんど聞かれません・・・。
先ほど紹介した藤田さんも、こちらには全く触れてはくれませんし、各局の司会者も番組内では「引きこもりが決して犯罪に直結している訳ではない!」という内容の意見には議論もなく軽くすぎてしまっている印象を受けます。
犯罪者は自殺した事で擁護され、その境遇の人たちは「認められるべき」との立場を得て、こうして私のように自宅で生計を立てようと必死に試行錯誤で1日に12時間以上を費やしているのは「引きこもり=病気=犯罪予備軍」と認識され、挨拶にも答えてくれなくなる・・・。
これでは、「1人で死んで!が犯罪を誘発する」という概念よりもひどく・・「もっと引きこもりの中から新しい犯罪者を作り出して、引きこもり=犯罪者を確立しよう!」と言っているように思えてしまいます。
「1億分の・・・」ではなく「60万分の・・・」
現在、政府が「引きこもり」と認定する人数はおよそ60数万人いるとされています。
おそらく私もその中に数えられていて、今回はその60数万人の中から凶悪犯罪者が生まれたと言われています。
普通の事件は「1億人の国民の中の・・・」という尺度から犯罪率が数えられます。
しかし今回は「引きこもり60万人の中の・・・」という限定した中からの犯罪率で数えられています。
「引きこもり」という人種が区別されてカウントされる時がついにきてしまったのです。
「喫煙者」で区別され・・・「引きこもり」で区別され・・・。
マイノリティーは常に区別される事は私もよく解ってはいましたが、まさか犯罪予備軍としてカウントされる日が来るとは・・・。
なんとも言えない気分です・・・。
「The Blue Hearts」の「青空」でも聴きたい気分です・・・。
犯人は「目標を探す事」を自ら拒否したから凶行に至ったのでは?
さいごに・・・。
これは私の「保身」のための事になるかもしてませんが、今回の犯人が凶行に至ったのは、引きこもりも理由としてあるのだとは思いますが・・・。
「自分の将来像と日々の目標に悩む事を拒否したから」ではないでしょうか?
日々、自分の将来像を明るく設定し、そこにたどり着く為に良い事も悪い事も糧にしながら試行錯誤して目標を設定しつづけ、日々目標を調整しつづけていれば、社会への恨みなどに行き着く暇などありません。
なぜ部屋から出なくなったのかは、私には皆目検討もつきませんが、その室内での最初の悩みが「自分の将来像」ではなく「社会への不満」であったのではないでしょうか?
それを思い、自分を卑下し、その原因を追求する過程で自己防衛本能が働き、自己中心的な考えに支配されて・・・。
いつしか目標が短絡的に自己を正当化して壊れていく心を守るためだけの手段に向けられていった・・・。
その目標の到達地点が「自分を疎外した社会への制裁」であったのではないかと思えて仕方がありません。
しかし、私は「彼も犠牲者」だとはどうしても思えません・・・。
お小遣いを50歳になるまでくれるような義父母が存在しながらも、自ら孤立する事を選んだのですから・・・。
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