煽り運転について考えてみる・・・煽り運転はなくす事ができる? – わかぶろぐ

煽り運転について考えてみる・・・煽り運転はなくす事ができる?

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こんにちは!

大連休と言えば何を想像するでしょうか?

私が想像するのは以下の順です。

  1. 家族や友人との遠出の旅行
  2. みんなで車で移動
  3. 煽り運転に遭遇

一昔前は煽り運転はヤクザやチンピラの専売特許でした。

煽ってそのあと脅して脅迫や憂さ晴らし・・・。

それがSNSの普及と共に一般にも手口が広く知られ、それと同時に「素人」の煽り運転の方が多くなる現状へと進んできたように私なりに感じています。

昨今、車載レコーダーの搭載が標準化される時代に突入していく流れにありますが・・・。

しかしまだまだ「煽られた側が大損をする」という現状は変わる事はなく、今ニュースを騒がせている「煽り+暴行事件」も・・・

全く身に覚えがないのに煽られた挙句に逃げ場にない状況で顔面を数発殴られた!

という、意味もわからないままの大損を余儀なくされているという現状です。

ここでは「煽り運転ってなくせる?」という事を考えていきたいと思います。

煽った側が優遇されてはいけない!

まずは初めに言っておきますが、日本の法律では「報復行為」は禁止されています。

しかし、それでも私なりの考え方を述べておこうと思います!

煽った側の基本的人権なんかは存在してはいけない!

煽り運転について、私の思想の根底には以上の事があります。

その理由としては以下の通りに・・・。

人権を侵害した人間に人権は必要か?

煽り運転は煽られた側の人に精神的にも肉体的にも多大な負担と脅威を与えます。

それは一時的なものではなく無期限にキッカケが訪れるまで続く事になります。

それというのは「人権を脅かしている」という事象に当たらないのでしょうか?

一方的に恐怖を与え、場合によっては暴力までふるい、のちにひきづることを承知の上で「追い込み」をかけようとする行為は私からすれば「人権侵害」以外の何ものでもありません。

しかし、この国の憲法には「基本的人権の尊重=全ての人に平等に自分を守る権利がある」というものがあり、それは殺人者も刑罰が終われば全て許される権利があるのです。

被害者の人権の半分以上は一生侵害され続けるにも関わらず・・・。

今のこの状態は「人権は全ての人に平等」というものに沿ったものなのでしょうか?

私には、この状態が平等であるとは到底思えないのです。

加害者に人権は必要なのでしょうか?

推定無罪とは言うけれど・・・。

どんなに映像に行為自体が映っていようと、どんなに「殺す」と言う言葉を被害者と呼ばれる人に連呼しようと、「身に覚えがない」と加害者とされる人が主張すれば、その無罪の主張の権利は尊重されます。

よく言われる「容疑者は推定無罪」という考え方です。

これは「刑罰が確定されるまでは普通の生活が確保されるべき」という考え方からくるものですが・・・。

しかし、映像で本人が確認でき、その言葉が相手にとって非常に恐怖を感じるものであるなら、それはパワハラやセクハラの論理と同様で即時認定されるべきものではないかと思うのです。

推定無罪という考え方は屁理屈をこねて加害者弁護側が拡大解釈した結果、その人権の行使を少しでも長引かせるために行ったもので、保釈も同様のものではないでしょうか?

送検されれば98%が有罪になる現状でこの「間延び行為」を重要視する必要はあるのでしょうか?

現在の推定無罪の状態は「犯罪者だけを優遇したい」という事だけに特化した状態ではないかと感じてしまいます・・・。

被害者側に問題がある場合も・・・。

さて、ここまでは「加害者側の優遇」について述べていましたが、どれも必ず加害者側に全ての非があり、原因の全てが加害者にあるというわけでもありません。

今回の煽り運転での被害者側の非の可能性

割り込みなどの可能性

例えばあなたがエスカレーターで並んでいる時に、断ることもなく、さも当然のように割り込んで来られたら、あなたは何を感じて何を思うでしょうか?

怒りを感じて「殴ってやりたい!」と思ったりしませんか?

今回の被害者は「身に覚えがないのに突然煽られた!」と主張していますが、それは本人と同乗者の主張であって、事の以前にどういった行動で両者がここに至ったのかという経緯は伝えられていません。

今回の被害者には当然として普段から行動している事の中に、普段から周囲に迷惑がられるような非礼な行為があったとするなら、加害者が怒り狂って今回の行為に出てしまわざるを得なかった事は、行為を肯定は断じてできませんが、気持ちは分かるような気がします。

事の以前に挑発した可能性

例えば、クラクションは通常の運転では簡単には鳴らしてはならない法規になっています。

しかし、街中を少し回っていても2日に1回は長めに鳴らすクラクションの音が聞こえてきます。

クラクションというものは音自体が緊急性を通達する性状から「人が不快に感じる音」になっています。

鳴らされた方は「警告されている=喧嘩を売られている」と勘違いしても不思議ではないでしょう。

これに限らず被害者側が当然と思っている行為が「挑発」として受け止められ、加害者側が「もう我慢できない!」と怒りの頂点に達してしまった可能性があるのではないでしょうか?

お互いが価値観を同様にしないとなくならない!

ここまで両方から考えてみましたが、結局のところ加害者側と被害者側の価値観が全く同じにならなければ煽り運転はなくならないような気がしてなりません。

ちょっとした価値観の違いが相手の常識を刺激して、いつの間にか挑発した事になってしまうのです。

しかし挑発した側はそれには当然気づく事はなく、「普通にやってる」事が耐え難い事の積み重ねになりエスカレートしていくのではないでしょうか・・・。

こうして考えていけばいくほど「煽り運転はなくならないのだろう・・・。」と思えてしまいます。

ただ、だからと言ってひたすら仕返しとして恐怖を与え、挙句に暴力をあびせる事は絶対にあってはなりません。

ならば、まずは煽る側の抑止として、「両者以外の通常交通を妨げた時点で執行猶予なしの年単位の実刑が確定する」とか、少し過激な刑罰を課すことも一つの方法なのかもしれません。

止まった時点で最低でも1年は懲役が確定するとなれば入り慣れた人以外は簡単には路上で止められないでしょうから・・・。

そうしながら両者の法の抜け道を少しづつ埋めて、行為の幅を絞っていく以外に方法はないのかもしれません。

本来なら互いを尊重し思いやれば一番良いことなのでしょうが・・・。

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