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コロナ問題・・経済を優先するなら「多少の犠牲は・・」というのも理解はできるが・・。

高齢者はずっと国を支えてきてくれた人たち

 

こんにちは。

コロナの感染拡大が広がっていくうちに悲しい考え方が広がってきています。

「老害は経済圧迫の原因なんだからこのコロナのうちに減らせばいい・・」

この言葉は一部の若者のうちでの話ではなく、いま順に広がりつつあります。

 

高齢者は確かに支出を圧迫している

 

そう言われると確かに有名な話だと、高齢者が病気が深刻でもないのに病院通いをして医療費を余分に支出させたり、酷い場合はそこで保険適用で安価に処方された薬品をナット転売して儲けていたり、そのまま捨ててしまってたり・・ということもあったりしてます。

高齢者本人には関係ないところでも、両親が年金受給して死亡したのちに子供が死亡申請を出さずに年金を受給し続けていたということもあります。

ここに挙げたたった2つの事でも現状相当な金額が無駄に支出されていることは想像できます。

高齢者は時間に余裕ができすぎて病院なんかをコミュニティとして利用している事で薬は必要ないのに医師は何かの診断をして、高齢者は寂しさもあってまた通いたいからなんとかして病名を付けてもらわなければならない。

そういう生活様式が無駄な薬を処方され、それを使わずに捨ててしまうという悪循環にしてしまっているのでしょう。

これについて若者が「老害」という言葉を用いて批判するのは理解できる事です。

 

無職の高齢者が減れば税金は安くなり減税や現在のさらなる保証拠出も可能になる

 

現在は「団塊の世代」という第一次ベビーブームの方々が大量退職し、再雇用契約も満期になった事から、空前の無職人口の高い人口比になっています。

おそらくこの世代が現役バリバリだったバブルの頃の社会情勢ならば、これくらいのコロナ感染状況でもまだ多少の余裕を持って持ち堪えていた事でしょう。

しかしながら現在は彼らが引退し、残った低い人口比がその方々を背負い負担している状況にあります。

ただでさえ将来のために増税したばかりの中で、大きく落ちる経済とコロナ保証のために拠出した200兆円とも言われる(これからの状況ではさらに倍になる可能性も・・)巨額の国債の返済など、今の若者にすれば「地獄」のような将来が見えてしまっています。

では、高齢者が半分になれば税収と返済のバランスはどうなるでしょうか?

「自分たちは若いうちから将来が暗くそれがいつ終わるかわからないのに、バブルでいい思いした人たちは自分たちの税金から搾取した金で普通の生活をしようとしてる。その世代が減っていけば自分たちに回せる金が増える。」

・・と悲しい事ですが、そんな考えが出てきてしまうのです。

確かに、返済できる額には限りがありますから、高齢者が減って現状の社会保障の額の3割程度を数年積み重ねてみるだけでも今回の各保証の予算をもう1〜2回はやれそうな感じにはなります。

 

高齢者淘汰の考えは自分の首を締める

 

このように「自分のことは自分で・・」というしっかりした考えのもとで自己完結によるいわゆる「高齢者淘汰」の考えは一つのモデルケースとしてアリだとは思います。

しかしながら、その今の高齢者は若い時にはどうしてきたでしょうか?

今の高齢者は過去の高齢者を支えてきた

今の高齢者もまた、過去の高齢者を経済を動かすことで支えてきました。

これを言うと今の若い方々は「いいじゃん!こいつらの時はバブルで何してもうまくいったんだから・・」と反論します。

しかし、この「次世代が支える」と言う流れがこの国のシステムなんです。

若者は自分が引退した後のために若者を裕福に導き、次世代はまた自分が引退した後のために若者をまた裕福へと導く・・。

そうして社会は自分中心ではなく、「次世代」に自分を支えてもらえるように責任を持って互いに幸福になれるように導いていく責務があるんです。

開き直るのは簡単ですが、今は健康でなんの問題もないのでしょうが、それに向かい合っていかなければ、いつか自分が仕事ができない身体になった時に本当の地獄を見る事になってしまうのです。

 

たとえ両親ではなくとも・・

 

最近では特に目立つのは「子供の虐待」。

私の世代が子供の頃から問題になりつつあった事です。

バブルの頃は何かしてれば金が湧いてくるような時代で、子育てよりも金儲けという中で愛情の薄いままに育てられた子供たちが私たちの世代です。

そして物が溢れ便利さが格段に上がってき始めたのもこの世代。

それが親になり愛情を知らない、怒られたこともない世代が子育てに入り、その環境で育った子供たちが今の世代。

よくテレビで聞くのは「絆」「仲間」「繋がり」・・。

私たちの世代までが幼少期に当然のように受けて、その言葉を口に出すことが「こそばゆかった」言葉が今の世代が欲しがっている言葉になってしまっています。

それだけ現世代は親の愛情や周囲の愛情が希薄な中で、友人や周囲の環境と共に求めてきたということなのでしょう・・。

親は自己中心的な考えで子供をまるでペットに「お手」を教えるように早期から子供将来を決定し、それにそぐわなければ強制的にその路線に合うように周囲を断絶することもたまに耳にします。

それに抗うように自分を肯定するコミュニティだけを信じ、そこの中で自分の誇示したいものを表現する。

こうして大きく離れた年上に反発して育った方々が「高齢者」という存在に敬意などの意味を感じることなく生活することが多くなっているのでしょう。

しかし、たとえば周囲の高齢者の中で賛同や理解を人はいないでしょうか?

両親は信じられないけど、この人は信じられるという先輩はいないでしょうか?

そういう人も感染が広がればなくなってしまうかもしれません。

「コロナはインフルエンザより死者数は今は少ない」

よく言われるコロナの軽視に賛同を得るための言葉です。

しかし、この感染症は「趣味の悪い宝くじ」のようなものです。

何かの拍子に身近な人の命に襲いかかるものです。

インフルエンザはワクチンを摂取した人の多くは疾患があっても抗体が悪化する前に抗ってくれます。

新型コロナはその抗体がありません。

発症しないとしっかりした量までも増殖はしないことが多いという情報もあります。

インフルエンザが毎年、何千万人が感染している可能性がありますが、ワクチン未摂取をのぞいてほとんどを抑えています。

新型コロナは現状6万人程度で1,000人以上の死者数を数えます。

インフルエンザと比べてコロナはまだ桁違いに危険なのです。

まずは信じられる高齢者を思い浮かべて、たとえそれが両親ではないとしても、その人のため感染が広がらないようにできることを探していけたらと思います。

 

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