中日ドラゴンズ応援歌自粛のニュースを考える。
こんにちは。
皆さんにとっては「当然だ!」と言うかたが多くいらっしゃるのかもしれませんが、私にとっては非常に衝撃的なニュースが報道されています。
それが・・・
というものです。
私にとっては、可愛い後輩も普通に付き合う友人も「おまえ」と呼びますから、これまでなんの違和感もなくいましたが、この事の発起人である与田監督には「なににも耐え難い」事だったのでしょう。
ここでは「私の思い」を存分に含んでお話を進めていこうと思います。
「教育上良くない」と言うが・・・。
今回の問題での議論の本質とは一体どこにあるのでしょうか・・・?
これについて中日ドラゴンズは以下のように説明しています。
「歌詞の『お前が』について、『選手にお前というのはどうなのか』『子どもも多く観戦する中で、そういう表現はいかがなものか』という意見を頂いたため、応援団と協議しました」
そして監督の与田氏は・・・
と語っています。
「名前で読んでほしい」という思いは理解できる
全くの赤の他人に言われたら気分は良くない
確かに、選手を名前で読んでほしいという監督の思いはわかります。
例えば見知らぬ赤の他人に・・・
と呼ばれたら、明らかに年上のかたに言われたとしても気分の悪い時はあります!
はあ?あんたはどんな教育を受けてきたの?
と思ったりする事もあります・・・。
と少し和らげるだけで受ける印象は随分と変わってきます。
そんな意味での議論なの?
しかし・・・。
今回の議論はそんな事なのでしょうか?
先ほど紹介したドラゴンズの説明のなかに「子どもが多く観戦する中で・・・」とあります。
ということは、「自分の名前があるのだから・・・」という議論は論点をズラした反論に対する答えだったのでしょう。
与田氏とドラゴンズが求める議論の本質は・・・
ということなのでしょう。
では、「名前で読んでほしい」というのは「その後のこと」ということですね!
子供の教育上に「言葉に触れさせない」ということは必要?
さて、では私が「本質」と考えている部分に進みましょう!
「おまえ」が教育上良くないから排除しよう!という事ですが・・・。
子どもが「知らずに育つ」ことは良いことなのか?
子どもはどうやって自身や社会を知って育って行くのでしょう・・・?
「育つ」=「自身で選択する」
私が思うに「育つ」ということは「知ってる事を選択していく」ということが育つという事だと考えます。
様々な情報を得て、いろんな事を知り、その中から様々な体験をしてより良きことを己自身で選択していく事が大切なのだと思います。
知識の量で後々の視野が変わる
選択すると先ほど言いましたが、選択肢は教えられて理解できることと体験して思い知る事があるのではないかと思います。
例えば・・・
と言われて、あなたにはその心境や思いが伝わるでしょうか?
これって体験した時に尊敬する人に言われたときと、第一印象から最悪な人に言われた時では、天地ほどの違いがあるように思いませんか?
そういう事は自分が実際にいろんな環境でそう言われて・・・
と自分で思って始めて人に言葉をかけるときにその環境を考慮し気を使い始めるのではないでしょうか?
子どもは「いろんな善悪」に触れる事が大切!
以上のことを踏まえて、子どもにはその時に知って良いことの最大限に触れる事が大切ではないかと思います。
では、知ってはいけない、知らない方が良い、というものは何なのかというと・・・
- セックスについての内容
- 殺人事件の状況説明の内容
- 集団で1人を楽しそうに追い込む内容
以上のような内容です。
1.セックスについての内容
性については子どもにはタブーとされています。
その理由として「子どもは快楽を最優先させる」「責任についての概念が存在しない」ということが挙げられます。
セックスによる快楽はあなたも良く知ることでしょう・・・。
では、これを子どもが知った場合に子どもは何を最優先するでしょうか?
妊娠する事を懸念して避妊するでしょうか?
節度をわきまえて勉学との割り切りを考えるでしょうか?
子どもは楽しい事を優先しますし、気持ち良いことを優先します。
そうなった場合・・・想像できますよね・・・!
2.殺人事件の状況説明の内容
子どもは「グロテスクなモノ」に非常に興味を持ちます。
それは未知の事への「好奇心」が子どもをそういうモノに惹きつけ新たな知識を得ようとする事から起きるものなのですが・・・。
例えば「血が吹き出す」とか「骨が見える」なんてキーワードを子どもが知って好奇心が働いた場合、自制心の薄い子どもの頃は、その事への興味の延長に「血を噴きださせる方法」や「骨が見えるようにする方法」までに興味が広がります。
非常に犯罪に結びつきやすい知識となってしまいますのでタブーとされています。
3.集団で1人を楽しそうに追い込む内容
そういう声が聞こえてきますが・・・。
これもタブーです。
この情報を得る事で、それまでやり過ごしてきた攻撃性がより顕著に現れるようになると言われています。
今現在攻撃性の強い子どもでも、さらに残虐性の強い子どもに育ってしまう可能性が高いという事なのです。
ただでさえ犯罪性の高い「イジメ」や「リンチ」ですから、これ以上の刺激は本当にヤバいという事でタブーとされています。
以上の3つのタブーは犯罪に直結する事から例外としまして、その他の事は多く知って育っていく事が「健全な子どもの姿」なのではないかと思います。
今回のように「おまえ」が教育上良くないと排除してしまう事は、子どもが体験する機会を奪い、大人の「自分の考え通りに育てば良い!」という自己満足によって視野の狭く育った犠牲者になってしまう可能性が出てきてしまうのではないかと懸念してしまいます。
まとめ
私の知る企業では、刃物でのヒヤリハット事例が2件出たことから・・・
という御触れが出て今現在も使用できないそうです。
これは危険を排除する事で新たな危険の根源をも排除した「高度な施策」と言われていますが・・・。
これによって運用が成り立たなくなった職場がいくつも存在し、その職場の訴えは無視されたまま進み続け、その職場は別のやり方で行う関係で赤字が続き、職場評価として全社から「問題職場」にされています。
私からすると「短絡的な思いつき」に過ぎないのですが・・・。
しかし、専門家や様々な社長からすると「素晴らしい」と褒め称えられる施策だそうです・・・。
それに調子に乗って、様々な問題を「排除」し続けた結果、会社の存続が厳しくなり、現在は「身売り」を繰り返し、社の姿は今やどこにあるのかもわからない状態・・・。
「おまえ」を排除する事も・・・。
今は「良い事」と議論される事なのかもしれない。
しかし、将来の国民性としてはどうなのだろうか?
排除するのは簡単です。
その先にあるもの・・・人として必要なもの・・・そういった議論もなく「気持ち」や「教育方針」だけ議論している人たちの未来像はどう映っているのでしょう・・・。
人というものがそんなに単純なものならば、今この世界には犯罪も紛争も起きてはいないのです。
子どもの教育と企業の施策は違うだろ!
そう思えるニュースでした。
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