乱横断者の言い分について考える。本当に自己責任で片付くの? – わかぶろぐ

乱横断者の言い分について考える。本当に自己責任で片付くの?

社会
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こんにちは。

私の地元である北九州市で起きた乱横断(北九州の場合は赤信号無視のようだが・・)による人身事故の立件によって、国内全体の乱横断者に注目が集まっています。

では少し考えてみましょう。

乱横断者の言い分について考えてみる

注目された理由は・・・

そもそもは・・・

信号を無視して飛び出してきた歩行者に青信号を確認した原付バイクが衝突し、歩行者が骨折するなどの重症を負った。

という事故が元になったのですが、この事故でより重く罪に問われたのは、交通弱者としてこれまで優遇されてきたはずの歩行者の方でした。

実際にこの歩行者は数千万円の賠償金の支払い命令が出る可能性もあり、マスコミは社会問題として同様の、あるいは類似の行為について注意を促す事に注力する事になったのです。

インタビューでの乱横断者の言い分

テレビリポーターの取材に答えた乱横断者の言い分は以下のようになっています。

  1. ここから渡った方が近いから
  2. 足が悪くてそんなに長く歩けない
  3. 足が悪くて歩道橋を使えない
  4. 車の通行が信号で止まっているから渡れる

この問題になっている乱横断者の多くは高齢者であると言うこと・・・。

なので、2や3は身体の不自由が理由になっています。

対して、1と4については「自由な思想」をうたう現代社会独特の「事故中心的な思考」の成れの果てのような言い分になっています。

しかし・・・1・4については、突然飛び出してきた人に衝突して罪に問われた運転手にとっては本当に迷惑な話です・・・。

「自己責任」を口にする人達

インタビューで堂々と開き直って「自己責任」を口にする人達・・・。

本当に当事者となった時に「自己責任」という範疇で片付けられる覚悟があっての言葉なのでしょうか?

経験上ですが・・・そういって口にする人ほど自分の行為を棚に上げ、相手に責任のすべてを押し付け、自分の正当性だけを主張するケースが多く見受けられます。

私には、これは「その場しのぎ」の相手にそれ以上言葉をつなげさせないためのものであり、本心から「自己責任」というものを覚悟しての言葉では内容に思えます。

「自己責任」では到底片付かない行為

乱横断者は簡単に自己責任を口にし、周囲をちゃんと確認していると主張します。

しかし、実際にこの行為から事故に発展した場合、到底そんな簡単な事では片付く事はありません。

例えば、人身事故で両者が怪我を負い運転者がなくなった場合、その歩行者の「自己責任」とはどこまでになるのでしょうか?

刑に服して、数千万円を支払えばそれで終わるのでしょうか?

その後に地元では後ろ指を指され、「あの人が信号無視して人身事故で殺したらしいよ!」とか「自己中だからあの人とは付き合わない方がいいよ!」とかの噂は当たり前に出てくるでしょう。

それらは学校のいじめ問題と同様に、周囲の親友すらも奪っていくかもしれません。

さらに酷い場合は落書きなどの嫌がらせも今のネット社会なら普通にあるでしょう。

貯金支払い、周囲には噂され、居場所が奪われていき・・・それでも乱横断者は「自己責任」だと納得できるでしょうか?

私が話を聞いた近所の同様の行為をする人は「そういう事はたまにあるけど耐えてきた!」と逆ギレしました。

しかし・・・それは数日の事であって、年単位の話ではありませんでした。

もしあなたがそういった行為をしたとして、10年そういった噂などで居所がなくなっていった場合、「自己責任だから」と後悔せずに耐えられますか?

それとも・・・開き直って少なくなった資産で引っ越ししますか?

どちらにしても「幸福な人生だった!」と胸を張って美談として語る事はできないでしょう・・・。

安易に行動した物事の重大性は簡単な未来予測だけでの答えだけでは到底片付かないのです。

ルールを破る人が守られる世の中?

もし乱横断者の言い分が通るのだとしたなら、それは・・・

今月はお金がないから無銭飲食をしてもかまわない。

という事がまかり通ることになってしまいます。

現代社会・・・。

何か気に入らない事があると先づ行動で示して議論を呼ぼうとする傾向が強すぎるように思います。

どこぞの市会議員や人権団体の一部部門などのように・・・。

しかし、この国は議論によって物事を決定する国であるはずです。

日本国はいつ頃から「テロ集団」の様相を呈すようになったのでしょうか?

今回はここまで

さて、乱横断・・・。

大半は自己中心的なものが多い事がわかってきています。

簡単に言えば、「いい加減な気持ちの人」が「身体的弱者」の理由に便乗して自分を正当化していると言えばいいのでしょうか・・・。

しかし、理由がどんな理由であるにしろ、民主主義の世の中であるなら、それは議論で問題提起をして妥協案を模索するべきではないかと思います。

「これはやりにくいからこっちの方に変える!」と思いつきで簡単に法律に反することをしてしまえば、それは「ただの悪人」でしかありません。

「最近の若者は・・・。」と若者に檄を飛ばす立場であるなら、乱横断の現場を子供達に見せている現状をどう思うのでしょうか?

「自己責任」を語るなら・・・。

そういった自己責任に考えを及ばすことも必要なのではないでしょうか・・・。

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