週刊ポストは謝罪する必要があったのか?
週刊ポストは謝罪する必要があったのか?
こんにちは。
週刊ポストの「韓国いらない」の見出しが問題となっています。
この見出しが韓国国家に対するヘイトだというのが根源のようです。
先だって世間は「言論の不自由展」で物議を醸しました。
今回のことも同様のもののように感じます。
際限なく制限される言論
最近、わたしがよく思うのは「世知辛い世の中になったなあ・・。」ということです。
何が世知辛いかと言うと、「なんでもヘイトに結びつけるヘイト民」がSNSを支配してしまっていると言うこと・・・。
ツイッターなんかでも、例えば狂信的な信者がフォローする人がどう考えてもおかしな意見をツイートして、それに対し意見する人がいると、たちまち大勢でそのツイートに対して論破するために論点を誤魔化し、揚げ足を取る事を繰り返し、自分と教祖の意見に染め上げていこうとします。
その反応をみて一部の狂信者の意見が正当化されたようになり、その反応を見たメディアもその顔色を伺うようになってしまっています。
民主主義を語る人
ネットの人たちの多くは「民主主義とは」ということを事あるごとに持ち出します。
「民主主義とは数の論理」
これが根底にあるようです。
そのわりに、自分の意見がマイノリティー側にいると分かると今度は「マイノリティーに耳を傾けるのが民主主義のあり方だ!」とまるで矛盾した意見を投稿したりしています。
では、民主主義とはなんでしょうか?
自分の好きな形にのみ執着することが民主主義なのでしょうか?
言ってることは正しいが・・・
しかし、このような民主主義の考え方はある形では正しいのだとは思います。
確かに民主主義は多数決の議決によって物事を決定しますし、その決定に際してはマイノリティーの意見を尊重して総合的に判断することが大切です。
しかしですね・・・では、意見を論破し、その後マイノリティーの意見をこの人たちは尊重しているでしょうか?
たいていは論破し相手を破綻させたらその後は無視して、次の論破に没頭します。
「論破すれども建設的に・・・。」
なんて事は見たことがありません。
これが本当に民主主義と言えるでしょうか?
わたしにはこうした動きは「中国共産党」の手法と同様に思えてしまいます。
ならば、この民主主義を語る人たちは「都合のいい時に民主主義を語る中国共産党」ではないのでしょうか?
週刊ポストは意見を言っただけでは?
例えば、これを見ているあなたの周囲とあなたは選挙で何も示し合わすことなく同じ政党に100%投票すると言えますか?
わたしの周囲の人たちにはいろんな政党の支持者がいます。
自民・立憲民主・共産・維新・・最近ではN国なんて人も・・・。
でも、それって国としては健全な姿ではないでしょうか?
それが成り立っていないならそれはよほどの天文学的確率での奇跡でも起きない限りは「独裁国家」という事になります。
週刊ポストの件も、「幾多あるメディアの1つが自分なりの意見を語っただけ」のことなのではないでしょうか?
日本人はちゃんと教育を受けている!
これが国民洗脳教育という方も存在しますが・・・。
日本には義務教育として「将来意見を総合して判断できる力を身に着けること」を9年に渡って教育されています。
これによって、いろんな意見を聞き入れ総合的な判断のもとで自分のあり方を考える能力が備わっています。
今回の問題の発端である日韓問題については他誌も統一することなく様々な意見を述べていて、今回の週刊ポストもその中の1つの意見なのではないでしょうか?
ならば日本人として週刊ポストの意見も尊重し、総合的な判断を自分なりに構築していけば良いだけの話なのです。
週刊ポストは謝罪する必要はない!
今回のテーマの答えとして、わたしは「週刊ポストは謝罪する必要はない!」と考えます。
確かに韓国国民の反応は気にはなりますが、1誌が「断交」と言ったところで日本政府が・・・
「あ!そうですか・・。ポストがそう言うなら・・・。」
とはならないでしょう。
さらに言うなら、先だっての「不自由展」の炎上での批判の多くは「天皇の写真を燃やしている写真」に反応した国民が炎上してしまった事にあります。
という天皇陛下への尊敬からの行為です。
今回のこととは根本的に話が違っています。
今回のことは「韓国との断交を雑誌が扇動している」という当て付けからの批判で、日本を責め立てる韓国に対して「波風を立てるな!」という事勿れ主義的な意見が多く語られています。
自国の問題まで事勿れで良いのでしょうか?
わたしは韓国国民が団結して真っ二つに意見を違える姿に感銘を受けます。
日本国民もこの問題に真摯に向き合ってみてはどうかと思います。
その時にこの件を目にしたらどう反応するでしょうか?
「これも貴重な判断材料だ!」
とはならないでしょうか?
わたしは、韓国と仲違いするとか仲良くするとかではなく、日本国民が問題と向かい合って考える力を見せてくれることを信じたい。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
-
この記事へのコメントはありません。