なんで虐待するの?虐待はなくせる?・・虐待を考える。
我が子を手にかける大人たち
全然違うところから入りますが・・・。
風邪が流行っています。
どうも一部情報ではラグビーW杯がこの流行に一役かっている側面もあるそうです。
私も風邪をひいておりまして・・38℃前後の発熱が3日間続いております。
そのせいかどうかは分かりませんが、首がこって・・そのせいで頭痛が・・その勢い?なのか歯まで疼いて苦しんでいるところです。
ただ気になるのは、「こんなに続く熱ってインフルエンザじゃない?」と言うこと・・・。
「なら病院行けよ!」
と言う声が聞こえてきそうですが、それも怠くて行く気がしないのです。
まあ、あと数日中には熱も下がっていくのではないかと・・・。
そんな感じでやり過ごそうと思います。
まあ、こうしてブログが更新できるような状態になったのなら大丈夫ですよね!
私はこうなってもブログ仕事の利点で無理してやる事がないですが、皆さんがサラリーマンならそうはいかないですよね!
どうか風邪やインフルエンザの流行に乗ってしまわないようにご注意ください。
なんか急に増えた?児童虐待
5歳児が・・。
3歳児が・・。
2歳児が・・。
最近、このくらいの子たちが両親の虐待によって命を奪われる事件が多く報じられています。
まるで、この数年で急激に増えているような感じに思える児童虐待ですが、実際のところは急に増えているんでしょうか?
これついて非営利団体の「児童虐待防止全国ネットワーク」のオレンジ運動にて以下のような報告がされています。
これは1次・2次とかの表現がありますが、これらは年代で1次は平成15年からの調査になります。
上図は虐待死亡件数についてのグラフです。
これを見ると、少ない時期もありますが今と変わらず児童虐待死は前から起きていると言う事が分かります。
べつに最近になって急に増えたという事ではなくて、そう思える要因として「メディアが虐待死に敏感に反応している」という事が挙げられるのではないでしょうか・・・。
「急に増えた?」と思う人は「気のせい」なのです。
虐待する両親の精神状態は?
先の項目で虐待死は今も昔も変わらずあった事が分かったのではないかと思いますが・・・。
こういう事件が報じられた時に私たちが最初に思うのは「なんで?」という事ではないでしょうか?
そこで、ここで一度虐待する両親(もしくは父親・母親)の精神状態について考えていこうと思います。
専門的観点からの分析結果
専門家の発表する虐待時の精神状態は一言で言うと以下のことに尽きると言います。
ん?どう言うこと?
思う人も多いのではないでしょうか?
私もその一人なのですが・・・。
簡略化して説明すると以下のような事だそうです。
と、この繰り返しがだんだんエスカレートしていくのだと言います。
その結果、虐待の度合いは増し、児童がなくなった後に事態の重大性に気づくのだと言う事です。
「しつけだった。」という、多くの供述に出てくる言葉も、この経緯で暴力を正当化するために自分に言い聞かせた事が真実に変換されて出てくるのだそうです。
虐待を隠そうとする親の心理
もがき苦しんで虐待に及んでいるとありましたが、ではその親たちは「やってしまった」と思ったとしたら、なぜすぐに届けずにむしろ隠す方へと向かうのでしょうか?
反省しているのなら、自分の行為を改めるために、自ら通報するなり自分の両親や友人なりに相談すれば良いと思うのですが・・・。
そのことについても、心理状態を解析できている部分があります。
生真面目で不器用な性格
こういった親は簡単にいうと「完璧主義者」という事が共通点で挙げられると言われています。
そして、もう一つの重要な共通点が「不器用である」という事。
ちょっとややこしいですが、一連の流れを・・・
自分が完璧主義者であるが故に、子供にも自分の中にある完璧な姿を求め、それに達していないと「しつけないと!」と思う。
しかし不器用が故に、その手段を探し出す事ができずに力づくで従わせようと暴力がエスカレートしていく。
次第にエスカレートする暴力の跡が残るようになり、「周囲に気づかれるかも・・」と思い始めると、今度は「教育もできないダメ親と思われるかもしれない!」という思いが芽生え、「子供を他人に見られてはいけない!」という論理が働き子供をある意味「監禁」する行為に及ぶ。
このような流れの中で「子供を他人には見せない」という行為の理屈が出来上がるとのことです。
これが繰り返された結果、「死ぬまで虐待を続ける」という行為に発展するケースが出てくるという事につながっているのです。
虐待はなくせる?
さて、ここまで「虐待の心理状態」を考えてきました。
では、この虐待をなくすことはできるのでしょうか?
国は「通報」を重要視
まずは国の考え方から触れてみましょう。
この度、虐待法が改正されて「周囲の通報」を強化するとともに「暴力的行為の禁止」を掲げました。
周囲が虐待と疑った時点で、例え間違い(勘違い)だったとしても通報を義務とするという事になります。
そして合わせ技として、両親が子供に「暴力的行為」に及んだ時点で罪が確定するという事になりました。
親には「暴力はふるうな!」、周辺住民には「見つけたら通報しろ!」という事で国は虐待を減らそうというのです。
周囲は「報復」を恐れるし、家庭内暴力を証明できるのか?
これで果たして虐待を抑える事、そして最終的になくす事ができるのでしょうか?
街頭インタビューをテレビ局がやってるのをみましたが、いくつかの意見がある中で「周囲に無差別で逆恨みしての報復があるかも」というものがありました。
「多くの虐待する親は小心者」という観点が専門家の中では存在します。
私にもこの通報義務はそういった観点が組み込まれたもののように思えます。
しかし、結局は「多くの」であって「全ての」ではない事から考えると「報復」という行為を全否定することはできないのだと思います。
ならば、周囲は報復の恐れから通報を躊躇するでしょう。
さらに、暴力の禁止についても「閉じた環境」で起きる事を完全に証明する事が可能なのでしょうか?
「おそらく暴力をふるっているようだ・・・。」
では証明にはならなくて、裁判ではなんの効果もないでしょう・・・。
これを完全に証明できなければならない上に、もしそれが証明できても、現状では「暴力としつけの境界線が曖昧」という問題点と、「暴力と認定されても罰則がない項目も存在する」という事も言われています。
この状態で取り締まって虐待がなくなるのか・・疑問点が多すぎるように思えます。
私が思うこと・・「完璧主義を壊す」
私が思うところ・・・。
「親の完璧主義を壊さないと虐待はなくならない」
のではないかと思います。
子供は思春期を経てそれまでに吸収したことや体験したことを糧に自分を成長させていきます。
最低でも思春期までは完璧どころか普通にすら成長できないのです。
私なんか40すぎてもまだまだ未熟なままで完璧とは程遠いです。
そして、虐待する親も「虐待をやめられない時点で未熟」なのです。
完璧主義者でありながら、自分は完璧な人間ではないんです。
そのことを虐待者本人に悟らせる事から始めないと、何かの罰を与えたとしても「完璧の姿」は変わらないのですから虐待は「閉じた空間」に戻った時点で始まるでしょう・・・。
子供を親から離し、「自分は完璧ではないのだから、子供が完璧になれるはずがない!」ということを認識できない限り手元には戻さない事が必要なのではないかと思うのです。
さいごに
いろいろ考えていたら、だんだんこんがらがってきましたので、ここで終わりたいと思いますが・・・。
バカな子が必ず将来、バカとしてみられているでしょうか?
成績が悪かった子が必ず無一文で露頭を迷っているでしょうか?
暴走族が必ず殺人を犯すでしょうか?
小さい頃の完璧さは要らないのです。
周囲と常にどう関わってきたか・・・。
それについてどう感じて生きてきたか・・・。
それらの積み重ねが人を育てていくのです。
子供の頃はおおらかにいろんな事に触れる事が重要で、いろんな事を自分で選択する事が重要。
親とはそれに導く存在ではなく、見守りながらそれを選べる環境を作ってあげる存在に尽きるのではないでしょうか?
少なくとも、私は親とはそういうものであって欲しいと思います。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。