ドローンが皇居上空に!・・ドローンがなぜ皇居上空を通過してはいけないのかを解説。 – わかぶろぐ

ドローンが皇居上空に!・・ドローンがなぜ皇居上空を通過してはいけないのかを解説。

ドローン

こんにちは。

令和前後から不穏な動きが皇室周辺で起きています。

例えば、先日の悠仁さまの通う学校の机の上に刃物が置かれた事件は皆さんもご存知だと思います。

この事件の動機は「天皇制への批判」ということのようですが・・・。

それ以外にも、爆発物所持や爆竹に点火するなど、私にとっては「陰気で稚拙」な手段での脅迫が結構な頻度で起こっています。

そして今回ニュースになっているのが「ドローンが皇居上空に現れた」という内容のものです。

私にも質問が多いのは・・・

「なぜ皇居の上をドローンが飛んではいけないの?」

という内容のものです。

そこで、ここでは専門家には到底及びませんが、内容を簡単にわかりやすく解説してみようと思います。

なぜ皇居上空をドローンが飛んではいけないの?

ドローンは今後さまざまな分野で活躍を期待されるツールです。

特に現在では災害での救助や現状把握に期待される部分が多く、その他ではこれから来るさらなる高齢化への対策として宅配便などの期待も高まってきています。

将来的にはこれらの分野では、AI(人工知能)との併用によって無人化も可能になると言われています。

そんな将来に期待されるドローンですが・・・。

実は予想されるさまざまな問題点があるんです。

では、早速そのさまざまな問題点について簡単な内容で解説していきますね!

一般的な問題点

まずは皇居上空と考える前に、基本的にドローンを飛行させるという事によってどう言った問題があるのかを考えてみましょう。

落下の危険の問題

あなたが通常の生活で例えば周囲に建物もない道路を歩いているとき、頭上に注意して歩いていますか?

ドローンは故障や突風などによって、通常では考えられない方向から操縦不能であなたに向かってくる可能性があります。

その場合、所有者はかなり遠方にいる可能性が高く、さらに操縦もできないため、もし所有者が当たると分かっていても見送るしかなくなります。

特に最近では理論操縦可能範囲が「km」という広い範囲のものも出てきています。

探究心や好奇心がまず第一に求めるのは・・・

他人よりも高性能のものを!

という事に兎角なりがちで、その場合では所有者は遠方で操縦するため自分の責任を追求される可能性が低いことから「いざ他人に当たったらそのまま逃げれば良いか・・。」と無責任に考える人も出てきているのです。

所有者の改造合戦が激化の問題

ドローンの先進国は「中国」であると専門家の多くは言います。

その中国は共産主義国として国民を統制するシステムを政府がとっていますが・・・。

その中国をはじめとする製造元の各国は、例えば軍事機密情報などが調べられないようにGPS等で立ち入れない区域を設定して、その上空には操縦ミスをしても入れないようにしてから出荷しています。

しかし昨今では、販売時の性能がほぼ同じになってきた事もあって、個人的に入手後に改造するケースが増えてきていると言われています。

これによって、安全装置すら取り外した「危険なドローン」を個人的に所有しているケースが出てきているという事です。

無制限にスピードを追求したり、音の出ないようにしたり、そんな事を追求するあまりに他人が周囲にドローンが飛んでいる事を認識できなくしていることで、今後は主に盗撮や不法侵入などの問題が予想されています。

報復テロの問題

こちらはこの後の皇居での問題点にも共通しますが・・・。

非常に危険な問題として考えられているのが「報復行為」や「逆恨み」によってドローンが遠隔攻撃できる武器として用いられる可能性が高い事です。

これはすでに海外では実際に起きていて、代表的な例では・・・

選挙演説中の候補者が対抗する陣営のスタッフに狙われ、演説中に候補者の周囲に飛んできたドローンが突然爆発し、聴衆の数人が怪我をした。

というものです。

ドローンは爆発物を時限的にコントロールできれば立派な凶器になります。

そのほかにも、例えば先端にナイフを取り付けて現在の最高速と言われている120km/hであなたの所に飛んできたら、あなたは避ける事ができるでしょうか?

こうした事はドローンを発明した軍部が敵を攻撃する手段としてすでに発案していた事です。

当然、ドローンを改造する人はこうした内容の事も調べていて熟知しているでしょうし、こうした攻撃方法にも興味を示し「より効果的でバレない攻撃方法を俺が考えてやる!」と考えているかもしれません。

かつては軍事用語として言われてきた「サイレントキラー」という言葉ですが・・・。

ドローンの発展によってそうした闇の部分も当たり前になってしまうのかもしれません。

薬物拡散の問題

最近ドローンが一般家庭・・主に農家に出回るようになってきた事が注目されています。

田んぼの農薬散布にドローンが活躍!

昔はよく目にしましたが・・最近はどうでしょうか?

私の住む街ではまだ当たり前のようにやっている「田んぼの農薬散布」。

田んぼに水を張った後にリンなのどの農薬を撒くのですが、ぬかるんだ田んぼの中に足を入れて撒くのは非常に大変です。

その負担を軽減するために、これまでは「ラジコンヘリ」を使用していたのですが、これが非常に操縦が難しくて操縦する人が少ない上に資格も必要で、さらにその人に各農家が金銭を支払わなければならないことから経費がかさみ、さらに操縦者の態度が年々大きくなっていったことから農家は敬遠気味でした。

そこに現れたのが「ドローン」です。

ドローンは飛行時に安定性が抜群なのが売りですが、さらにその場で停止も可能で急旋回もOK!、そして操縦も比較的簡単なことから「農薬の空中散布に適している」と注目され始めたのです。

農薬散布ができるという事は・・・

悪意というものはどんなものからでも応用されます。

ドローンのように誰でも簡単に操縦できる可能性が高く、農薬を散布できる機能性も考える事ができるとなれば、「何かに恨みを抱く人」はどう考えるでしょうか?

農薬を撒けるなら、狙った人に毒物を撒く事もできるんじゃない?

そうした考え方を指摘する意見もいくつか目にしました。

実際、「秋葉原での連続切りつけ」や「新幹線ナタ振り回し」などの凶悪事件の攻撃対象は「切りつける相手は誰でもよかった・・・」というものばかりです。

そういった人物がドローンに目をつけたとしたらと思うと・・・。

かなりゾッとしませんか?

皇居周辺でドローンを飛ばしてはいけない理由

さて、いくつかの問題点を一般的な観点から考えて参りましたが・・・。

ではなぜ皇居周辺でドローンを飛ばしてはいけないのでしょうか?

悪意がなければドローンを飛ばしても問題ないんじゃない?個人の自由でしょ?

そう思っている人もいるのではないかと思います。

でも皇居に限らず、国会議事堂から町役場まで・・公共の場で無許可でドローンを飛ばす事は基本的には「イケナイ事」なんです。

その理由を解説していきます。

悪意か善意かなんて見た目ではわからない!

例えば、上空数十メートルを縦横20cmのドローンが飛んでいたとして、あなたはそれをどう認識しますか?

あ!何か飛んでる!

くらいの感覚ではないですか?

そして、その何か飛んでるものが悪意のあるものなのかどうかを疑いますか?

では、そんなドローンがひしめくように飛んでいて悪意と善意のものがあるとして見分けられるでしょうか?

先に挙げた問題点として「テロ」の場合を考慮した場合、その見分けができない以上は「一機たりとも飛んでいてはいけない」のです。

そうしなければ、最悪の場合大勢の犠牲者を発生させてしまうかもしれませんから・・・。

善意でも墜落したら「ただのテロ」

善意の気持ちで例えば「皇居の綺麗な風景をとって陛下に贈りたい!」とか考えていても、それが飛行中のトラブルで墜落でもして、皇居の職員や最悪両陛下の元に落ちた場合には国家反逆罪クラスの「テロ行為」となります。

悪気がないことを裁判で主張すれば勝てるはず・・・。

なんて事を考えた人は甘いです!

法律は国益の下にあるものです。

天皇陛下や総理大臣の身に何かが起こってしまえば、それは国の機能が一時的マヒする事は必至となります。

国民は国益に対して最優先で考えを及ぼす義務がありますから、国益を損じた時点でそれは罪に問われる事に繋がります。

・・・という事は・・・

国益に関わる公共の場での行為は何かの危険を伴う可能性を事前に追求し、そこで行う行為を明かし、その行為が危険のない事に責任を持って務める。

という事が重要になります。

周囲に何も伝えずに勝手に飛ばして「落ちるかもだけど、気にすんな!」は明らかにおかしな道義であると同時に無責任極まりない行為である事を認識しなければなりません。

それが皇居であるなら「想定外でした!」と言い訳しても通じるものではないのです。

まとめ

個人的常識というものは公共の常識の中に当てはめた場合に、はたしてどれくらいの事が合致するのでしょうか?

8割ほどあるのでしょうか?

それとも9割?

私の中での事ですが、個人と公共との常識の合致は1割程度なのではないかと思います。

あなたが良くても周囲はそれをどう感じるか?

あなたがダメだと思っても周囲はそれをどう感じているか?

公共とはそれを気遣う努力を要するから「公(おおやけ)を共(とも)にする」と書くのではないでしょうか?

「ドローンを飛ばす事が上手」

・・・それは大層な事ですが、あなたと同じ考えを共有するかを考える事も重要です。

国の考え・あなたの考え・私の考え・周囲の考え・・・。

それらに考えを及ばせてからの「個人の自由」であり、「公共の自由」なのではないでしょうか?

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